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そろそろタイトル変えようか。(現在東京)

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「アメリカ的な家」

時々、コメントを下さる夢違い様のブログに、留学中の息子さんのホストファミリーがスリランカ出身との記載がありました。

丁度、タイムリーなこと(ただし、悲しいこと)があったので、書きます。

私が初めて「ホームステイ」をしたのは、かれこれ、20年近く前のこと。
約1ヶ月親元を離れ、アメリカの田舎町に行きました。
とんでもない田舎町で、一緒に日本人の女の子が一人滞在しましたが、他に日本人は当然いない状況です。

こちらのホストファミリーは、「おばあさん」と、その「BFのボブ」。2人は結婚していなかったけれど、「ルームメート」と、「パートナー」の間みたいな形で生活していました。一人っ子として産まれた「おばあさん」の子供たちが近所に数家族(8人子供を産んでいた)住んでいました。

とにかく、すごい田舎だったのですが、その後、米国に住んでいる間に2回、会いに行きました。

最初に何も分からずに滞在していた時には何も気がつかず、ただ単に、「白人家庭」「何となくアメリカで羨ましい」と思っていたけれど、自分の方も知恵が付き(?)、そして、英語の能力もずっと向上してから会いに行った2回目と3回目では、それほど、「輝かしい絵に描いたような白人アメリカ人家庭」ではなく、むしろ、「問題もいっぱい抱えている」ということが分かるようになっていました。




そのおばあさんの方は、私自身の祖母が無くなったと同じ年の11月に亡くなりました。5年ほど前のことです。ボブが、手紙にて知らせてくれました。

その後も、毎年ボブには手紙を書いたり、電話をしたり、といった関係を続けていたけれど、彼は、「君は、賢い旦那さんを見つけるべき」とか「良い子供を産みなさい」と言った感じの、いやみったらしくない、encouragementをくれていました。

今年も、11月末、彼にクリスマスカードを送り、もうすぐ子供が産まれる旨をお知らせし、クリスマスに電話をしようと思っていたところ、「おばあさんと同じ名字の人」からお手紙が。

ああ、とうとう、このときが来たのか、と、封筒を見て察しました。

独身だったボブには、恐らく、頻繁に連絡を取っていた「実の家族」はいなかったはずなので、むしろ、おばあさんの家族の方が近かったんです。そのうちの一人から、ボブが今年の感謝祭の日に亡くなったとのお知らせが来ていました。

約20年に渡って続いた、細くても長かったおばあさんとボブとのつながりが、これで、切れてしまったことが寂しく感じられます。でも、自己満足かもしれないけれど、この2人の、ほぼ最後のときまで、私もほんのちょっとでも関わっていられたことは嬉しく思います。

夢違い様の息子さんは、現在、シアトルのスリランカ系の方々のところで生活をなさっているようです。

私が、この、おばあさんとボブの家に滞在していた時、別の高校生が同じプログラムで、ボストンに行ったところ、ホストファミリーが「インド系だった」ということが嫌で嫌で、泣いてホストファミリーを変更してもらったという経緯がありました。考えてみれば、随分と失礼なことです。

「アメリカ=白人の国」ということは無く、また、「アメリカの家庭=パパ、ママ、子供、そして犬がいる」ということもありません。むしろ、日本の方が、まだ、Traditional Family Unionが残っているような気がします。

私と夫は、一度は米国の永住権をとって、そのままアメリカに住むつもりだったし、そのまま、「アメリカ人になってしまう」ことも可能でした。今からでも、そうするかもしれません。でも、仮に私達が「アメリカ人」になっても、あるいは、アメリカに永住しても、所詮は「日本人がイメージする『アメリカ人家族』」では無いわけです。

なにを書きたいのかよくわからないけれど、とにかく。

外国に行くって、色々なことを学べるし、色々なことを感じられます。
それから、何方かの家にお世話になることって、本当に、ホスト側には大変なことです。
(もちろん、居候するのも大変です:約3年他人と暮らした私はそう実感しています。)

でも、折角、つながりが出来たのならば、それを大切にできるような人に私はなりたいと常に思っています。
by welcome2nyc | 2010-12-27 19:41 | 雑感